九条葱を知る

九条葱とは

九条葱が出来るまで

ここでは九条葱が出来るまでの過程を、チャートでわかりやすく解説しております。

九条葱の伝統的栽培は、大変手間暇のかかる仕事であり、秋に種を蒔き、3月頃まで苗床で育て、仮植えをした後、
7月下旬頃から一ヶ月ほど掘り上げて稲を干すように、約一ヶ月間天日で乾燥させます。
いわゆる葱苗(ねぎなえ)といいますが、この効果により発根作用の促進につながると言われ、収穫までには、およそ1年2ヶ月かかります。

九条葱は苦味と甘みを兼ね備えた食材です。
スーパーでよくみかける野菜は常に形がそろって、見栄えもよくおいしそうに見えます。
しかし、葱常では自然のままを味わっていただくため、苦味と甘み、本来の九条葱の味を知っていただけるよう、ありのままの形を食卓に届けたい一心から形がいいものや見た目だけを厳選して分けるといったことはいたしません。
長いもの、短いもの、大きいもの、小さいもの、曲がっているもの・・・それぞれが口の中で個性的な味のハーモニーを奏でるからです。全てが我々にとって大切に育て上げた子供たちです。
是非そのままを味わっていただければ、幸いです。

従来の流通経路

従来の流通では、農家で生産、収穫、加工・製品化されたものが、いくつもの段階を経て、お客様に届くことがほとんどです。
その分、お客様からの声が届くまでにも時間がかかり、価格面でも高くなることがあります。

葱常の流通経路

葱常では、弊社との長年お付き合いさせて頂いている提携農家との厚い連携と信頼のもと、収穫と加工・製品化を請負い、
直接販売店、飲食店に納品することで、お客様へ届く時間とコストの削減を実現しております。
これにより、お客様の生の声をすぐに受け取ることができ、迅速な対応も可能となっております。

京都は地下水が豊富な土地として、昔から各地の特性を生かした農業や産業が発達しています。
ここ葱常は、地下水が豊富な土壌を生かしての昔ながらの提携農家様の育てられた九条葱を収穫後は地下水を利用して、一束一束丁寧に加工・製品化しております。
地下水に気持ちよく洗われた獲れたての九条葱は袋に詰められて、皆様の町へ今日も運ばれています。

九条葱の歴史

九条葱の歴史は様々な諸説がありますが「葱」はユリ科の植物で、中国西部地域が原産地と言われております。
紀元前より中国で栽培されていた原種が朝鮮半島を経て渡来し、古くは「日本書紀」にその記述が見られます。そして浪速(大阪)から平安建都以前の和銅四年(711年)、稲荷神社が建立されたときに京都で栽培が始まったという口伝えがあり、平安前期の「続・日本後紀」には九条村(現・京都市南区九条)で「水葱」を栽培したと記録があり、また、伝承によると、弘法大師(空海)が昔、東寺(教王護国寺)の近くで大蛇に追われて逃げ場を失い、葱畑に隠れて難を逃れたことがあり東寺の五重塔の上には、葱坊主(葱の花のつぼみ)がつけられたとも言われています。

また、平安時代から京の主要野菜であったらしく、延喜式(927年)にも栽培法が記され、江戸時代の雍州府誌(1684年)には、東寺の付近から東南の地域一帯の葱の品質が良いと書かれております。

平安京の郊外(碁盤の目の外)の洛南一帯は低湿地で養分豊かな土壌が条件に適した上に、熱心な農家によって作りこまれ、改良されたことから「九条葱」の名が生まれたとされています。明治時代に入り、牛肉の普及が進むにつれ栽培も一層盛んになり、京都の産業の発展も重なったことで、産地は南に、そして徐々に郊外にすすみ、今日、京都府下で作られています。

冬の気候が比較的温暖な関西では、霜に浴びながら柔らかい緑葉が育ち、甘味を増す九条系品種があり、これを大きく分けると葉葱(青葱)と根深葱(白葱)とに分けられます。
京都では、普通葱と言えば、葉葱の代表の九条葱を指し、根深葱を関東葱と呼びます。

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